THE HISTORY OF LACROSSE

❚ THE ORIGIN OF LACROSSE

ラクロスの起源は17世紀に遡る。

原型は、北米インディアンが戦闘用の訓練に用いていた格闘技。
始めはどの部族がこの世界を支配するかと言う名目。先住民族の言い伝えによると、その後幾多の試合が行われ最終的にテハロンンヒアワコンがソーウィスカレラに勝利し偉大な人類の創造主になったとされている。ラクロスは神聖なゲームとされており今でもラクロスは「偉大な創造主の為のゲーム」であるとされている。

崇拝儀式の様なものであったと言うのが有力な説である。若い戦士の戦闘用の訓練でもあり、ゲームとして戦う為大規模な戦争が回避されたと言う史実も残っている。

❚ HOW DID LACROSSE SPREAD

1834年、コーナワガワ族によりモントリオールでラクロスのデモンストレーションが行われた。

カナダ国内でラクロスの人気が一気に高まり、1867年にカナダの歯科医師ウィリアム・ジョージ・ビアーズは、カナディアン・ナショナル・ラクロス協会を設立した。ビアーズは、「近代ラクロスの父」と呼ばれている。

彼らの手でルールなどが定められ、徐々にスポーツ化を遂げていった。当時は、1チーム12人、フィールドの長さは180mだった。

「ラクロス」の語源はフランス語。
当時、インディアンが使用していた道具が、僧侶が持つ杖(Crosse)に似ていたことから「La-Crosse」と呼ぶようになった。

19世紀後半にカナダの国技となり、以降、各国へと普及していった。カナダ、アメリカ、オーストラリア、イギリス、日本などを中心に盛んに行なわれ、近年ドイツ、スウェーデン、中国、韓国、アルゼンチンなどにも普及し、現在14カ国が国際連盟に加盟し、世界の競技人口は約60万人にのぼっている。

日本全国で加盟約360チーム、競技人口は男子約5500人、女子約1万2500人、合計約1万8000人を数える。また、低年齢層から高齢者の方まで、気軽に楽しめる「ソフトラクロス」も全国に普及している。

THE HISTORY OF KEIO LACROSSE

1986年、慶應に日本初の男子ラクロス部が創部。
そして男子に遅れること2年、1988年に女子部が創部した。

けれどもこの2年、女子が何もしなかったわけではない。
は女子の創部メンバーの多くは、男子ラクロス部の立ち上げ、そして日本ラクロス協会の設立に1986年、87年から関わっていたのである。
いわば、縁の下の力持ち。日本のラクロスの産声を、微力ながら影で支えていた。

慶應女子ラクロス部の正式な初練習日は1988年4月2日。

11時から13時の2時間、丸子橋グラウンドで行われた。メンバーはせいぜい4〜5人程度。見よう見まねでのパスキャッチからのスタートだった。
これ以降夏まで週1〜3回、練習を行っていたが、当時は3人集まれば御の字という状態であった。

そんな私たち慶應女子ラクロス部が初試合を行ったのは1988年6月26日。

まだ単独チームで出場することができなかった慶應は女子の混合チームで聖心と対戦。結果は8-0と見事、勝利を収めた。

慶應
が初めて単独チームとして出場した試合は、1988年秋に開催された第1回学生ラクロスリーグ。この頃、何としても単独チームで出たかった慶應は2ヶ月で必死に部員を集めたのだった。

1989
年4月、悲願の「部員数12名以上」を達成し、慶應女子ラクロス部は新しい段階を迎えた。そして、遂にこの年のリーグ戦で、夢に見た慶應としての初勝利を掴んだのである。

慶應女子ラクロス部の創部に携わったあるOGの方のお言葉、
何も無いところから、ひとつひとつ自分たちで何が必要かを考えて創り出した。回り道ばかりであったかもしれないが、自分たちで考えて、行動したことの結果には「失敗」はなく、「学び」しかなかった。」

"PIONEER'S PRIDE"

これは慶應女子ラクロス部を創り、進化させ、そして守り続けてきてくださったOGの方々から受け継がれ、現在もチームに流れ続けるDNAである。

ただ真の日本一を目指すだけが、私たちの目標ではない。

常にラクロスの新しい魅力とその価値を追求し、ラクロスという競技を、そして慶應女子ラクロス部というチームを進化させ続けること、これこそが私たちの使命であり目標なのだ。

2017年、真の日本一を掴んだ私たちは、また新たなステージへと一歩踏み出したのである。

RESULTS

1987 創部

1988 第1回学生リーグエキシビション参加

1989 第1回学生トーナメント戦
    第2回学生リーグ戦 1部Aブロック2位

1990 第2回学生トーナメント戦
    第3回関東学生リーグ戦 1部Aブロック4位

1991 第4回関東学生リーグ戦 1部Aブロック3位

1992 第5回関東学生リーグ戦 1部Aブロック2位

1993 第6回関東学生リーグ戦 不出場

1994 第7回関東学生リーグ戦 2部Aブロック1位

1995 第8回関東学生リーグ戦 2部Bブロック4位

1996 第9回関東学生リーグ戦 2部Aブロック7位

1997 第10回関東学生リーグ戦 2部Aブロック2位

1998 第11回関東学生リーグ戦 1部Bブロック2位

1990 第12回関東学生リーグ戦 1部Aブロック2位

2000 第13回関東学生リーグ戦 1部Bブロック3位

2001 第14回関東学生リーグ戦 1部Bブロック3位

2002 第15回関東学生リーグ戦 1部Bブロック2位

2003 第16回関東学生リーグ戦 1部Bブロック2位

2004 第17回関東学生リーグ戦 1部Aブロック1位

2005 第18回関東学生リーグ戦 1部Aブロック3位

2006 第19回関東学生リーグ戦 1部Bブロック3位

2007 第20回関東学生リーグ戦 1部Aブロック2位

2008 第21回関東学生リーグ戦 1部Bブロック1位
    第19回全日本選手権1回戦敗退

2009 第22回関東学生リーグ戦 1部Bブロック2位 FINAL4敗退

2010 第23回関東学生リーグ戦 1部Aブロック2位 FINAL4敗退

2011 第24回関東学生リーグ戦 1部リーグ準優勝

2012 第25回関東学生リーグ戦 1部リーグ優勝
    第4回全日本ラクロス選手権大会優勝
    第23回ラクロス全日本選手権優勝、日本一

2013 第26回関東学生リーグ戦 1部リーグ優勝
    第5回全日本ラクロス選手権大会優勝
    第24回ラクロス全日本選手権 準決勝進出

2014 第27回関東学生リーグ戦 1部リーグ準優勝

2015 第28回関東学生リーグ戦 1部リーグBブロック優勝 FINAL4敗退

2016 第29回関東学生リーグ戦 Aブロック3位

2017 第30回関東学生リーグ戦優勝
    第9回全日本ラクロス選手権大会優勝
    第28回ラクロス全日本選手権 優勝

2018 第31回関東学生リーグ戦

2019 第32回関東学生リーグ戦 FINAL4敗退

2020 関東学生ラクロス2020特別大会 FINAL4敗退

2021 第33回関東学生リーグ戦 1部リーグCブロック2位 FINAL敗退

2022 第34回関東学生リーグ戦 優勝
    第13回ラクロス全日本大学選手権 優勝

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