ラクロスに生きる。大久保宜浩HCの信念とは

今や日本でもその名を広く知られるようになったスポーツ、ラクロス。慶應義塾は国内で初めてラクロス部を設立した“ラクロス界のパイオニア”としての誇りがある。しかし、歴史をさらに遡るとある人物のもとに辿り着く。慶大女子ラクロス部HC・大久保宜浩だ。彼こそが日本に初めてラクロスを持ち込んだ実際の先駆者のうちの一人なのである。

ラクロスとの出会いは1986年、慶應大学に入学したばかりの4月のことだった。何となく眺めていたファッション誌の片隅で、当時アメリカで流行していたラクロスを見つけた。小さな記事ではあったがやけに興味をそそられた。どんなスポーツなのか――好奇心と勢いのままに仲間数人と共にカナダとアメリカの大使館を訪れ、資料として日本に1本のビデオテープを持ち帰った。さらに、アイスホッケー店を通じて取り寄せたクロス20本、ボール10個を道具として、見よう見まねでパスキャッチの練習を始めた。1986年5月の多摩川土手。これが日本で初めて行われたラクロスの練習だった。

その後も仲間の人脈や勧誘を通じて、学生を中心にラクロスは広まっていった。ラクロス協会の立ち上げから日本初の国際親善試合の開催まで、ラクロスというスポーツの発展に尽力した。大学時代のほとんどすべてをラクロスへつぎ込んだという。「僕らは自由にやっていた。ラクロスは一つのツールで、自分たちで何かを作ることがただただ楽しかった」。彼は当時をこう振り返る。これが学生主体とも言われる日本のラクロスの原点なのである。

プレーヤーの次に、彼を待っていたのは指導者の道だった。日本の代表チームを作るにあたり、ラクロスを指導する立場が必要となった。上にプレーヤーがいない状況で、その役回りは自分に回ってきた。1994年、初めて男子代表のコーチを務めてから3年後の2001年、今度は女子代表のコーチを担当。慶大女子ラクロス部を監督し始めたのはそこからだという。

「別にコーチをやりたかったわけではない。反面教師なものですから」。そう語る彼の指導スタイルは一般的な指導者のそれとは異なる。「コーチという感覚はなく、毎年4年生と共に戦っている。コーチと同期だったら同期の方が近い」。もちろんチームを導く立場として全体の大枠は掴む。だが、その中での個人の成長においては選手の自主性を重んじている。チームを上から引っ張るのではなく、選手の隣に立って方向を示す。これが大切にしている指導スタイルである。

大久保HCに寄せられる絶大な信頼はそれだけに起因しない。「試合を見ていれば(展開を)ほぼ言い当てますよ」。そう笑顔で話すように、試合の予測においてもずば抜けた力を見せ、チームを支えている。その的中率は、選手が口にした「(大久保HCは)預言者みたい」の言葉そのもの。何百何千もの試合を見てきた確かなデータ量が、経験としてものを言う。試合中の的確なアドバイスは選手を鼓舞する戦力の一つとなっているのだ。

「ラクロスは自由だ」――この信念のもと、大久保HCは今日も選手がラクロスを自由に楽しむことができる環境づくりに励んでいる。「せっかくやっているんだから、楽しまないと」。そうしてスポーツ本来の魅力を伝えながら、多くの選手たちと苦楽を共にしてきた。

そして、今年も目指すは全国覇者の称号。チームが勝利を目指す限り、大久保HCは誰よりも強いラクロスへの情熱をもってして、選手の進む道を照らし続ける。

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