ラクロス歴10年、吉岡美波が思い出した点取り屋としての嗅覚。

「ラクロスはまだまだ上があるな。限界がないなと強く思った。」————中学生からラクロスを続ける吉岡美波が大学に入り、こう感じたという。目指すものは同じ勝利。でも彼女にとって中高と大学ではラクロスは全く違う競技となっていた。

中学生時代から大妻多摩高校のトップチームでプレーした吉岡。全国大会にも出場し、中学2年生から高校1年生までは3年連続全国2位という成績を残した。だが、自分が最上級生である高校2年生時は関東大会ベスト8での敗退。全国大会にも進めなかった。「絶対ラクロスなんて2度とやらない。自分は向いていないなと思った。」その後の進路としてラクロスのない国立大学を考えていた。

受験勉強に励んでいた吉岡だったが、その矢先にある試合を目撃し衝撃を受けた。2013年の全日本大学選手権決勝の慶應大学対関西学院大学だった。試合は慶應が関学を圧倒し12-3で勝利。大学日本一を勝ち取った。同期に誘われて偶然見に行ったこの試合。「慶應は強いし、かっこよかった。ラクロスを続けるなら慶應だなと思った。」当時取っていた国立大学受験向けの授業をやめてまで慶應への進学を希望し、ラクロスへの情熱が戻った瞬間だった。

勉強の甲斐もあり慶應に合格した吉岡。理工学部の授業との兼ね合いも考えたがラクロス部に入部した。当初は大学のラクロスについて「高校時代に大学生とやっていても思ったより上手くない」と感じていた。これ以上自分は技術が上がることはないと思うこともあった。しかし、いざ入部してみるとその考え方は変わっていった。「慶應に入ってびっくりした。全然違うラクロスだった。」自分よりも技術、運動神経ともに上の人ばかり。今までになかった新しい発見もたくさんあり、なんでも許される環境がそこにはあった。自分のやってきたラクロスはまだ限界ではなかった。

そんな吉岡だったが得るものもあれば失うものもあった。大学に入学し、ATとしての点取り屋の嗅覚がなくなっていた。「自分よりも上手い人ばかりで私が点を決めなくても他のところで貢献できればいいかと思ってきて、得点への意欲も落ちていた。」中高時代はともにプレーしていたATの同期とどっちが多く点を決めているかを強く意識していたという。その頃持っていた点取り屋のスイッチが切れてしまった。

自分には他のATと違い圧倒的なスピードも1on1の力もない。そのため周りの選手を生かし一歩引いたところでプレーする、縁の下の力持ちのようなプレイヤーを目指していった。それとともにいつしか得点にこだわるATらしさは失われていった。

吉岡にATとしての嗅覚を思い出させたのが、昨年の海外遠征。調子も良く得点を量産している中で、どうして日本のリーグ戦では得点を決められないのかという一つの疑問が浮かんだ。その時「自分が点を取りたいと思わないと取ることはできない」と感じた。ATとして大切なことを思い出すことができた瞬間だった。性格もそこから変わり、自分が点を取らないとチームは勝てないとも思うようになった。

初めてスタメンを掴んで戦うリーグ戦。2試合で3得点をあげているが、そこに安心はない。「まだまだだなと思っている。シュート技術も上げないといけない。」ラクロス歴10年目だが、まだ成長するのびしろがある。強力なATが揃う慶應。点取り屋として吉岡が覚醒することが超攻撃型ラクロスをさらに発展させていく。

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